Bさんは、プラスチック製品の成形加工を業とする小規模企業の経営者です。
主要業務が受託加工ということもあって、これまでに知的財産権を取得する必要性を感じることはありませんでした。
しかし、家族との日常の会話からふとひらめいたアイデアにより、ある生活用品を試作し、その試作品を家族や社員たちに見せたところ、思いのほか高い評価を受けたので、はじめて特許の取得にチャレンジしようか・・という気持ちになりました。
社員たちの積極的な意見を入れて、商品化にもチャレンジしようということになりました。
Bさんは、インターネットで会社の近辺にある特許事務所をいくつか探し出し、それらの事務所のホームページを見比べてみましたが、なにぶん馴染みのない業界ですので、相談先をなかなか決められません。 とにかく、気がかりなのは費用のことです。各事務所が公開している料金テーブルも見ましたが、費目が多くてよくわかりません。
困り果てたBさんは、検討していた事務所のうちの1つに電話をかけ、電話口に出た事務員と思われる人に、次のような質問をしました。
「特許に必要な費用はトータルでどのくらいになるか、教えていただけませんか・・・?」
相手は、ちょっととまどった様子で、
「最初の出願の手数料だけでなく、審査にかかる費用や特許された後の登録料も合わせた金額でしょうか?」
と尋ねました。
Bさんがそうだと答えると、少しお待ち下さい・・と資料を調べている様子でしたが、やがて
「発明の内容や審査の経過などによって異なりますが、私どもの手数料に特許庁に納付する審査請求料、権利満了までの特許料を合わせると、100万円前後はみていただく必要がありそうです。」
と答えてくれました。
その答えを聞いたBさん・・・ なんとか丁寧に御礼を言って,電話を切りましたが、その後、大きなため息をつきました。
一個あたりの利益はわずかだし、どれだけ売れるかも分からない。特許がとれたところで、そのためにかけた費用を回収できなかったら、損して終わるだけだ。
やっぱり零細企業の小商いに特許なんて無用だ・・・
念のためと、別の事務所にも電話をして同じような質問をしてみましたが、先の事務所と同じような内容の答えでした。特許を取得し、新商品を発明品として売り出すことで、新たな活路を見いだそうと思っていたBさんの気持ちは、すっかり冷めてしまいました。
こうして、Bさんは、特許の申請をあきらめました。しかし、商品化の方は、社員たちの強い後押しを受けて進行し、1年ほどして、インターネット通販を中心にした販売を開始しました。
商品は、ブログやSNSなどで結構話題になり、タウン誌でとりあげられるなどの追い風を受けて、予想以上の売れ行きになりました。地元のアンテナショップから商品を取り扱いたいという打診も受けています。
しかし、そういった動きに比例するかのように、物まね品が出回り始めました。
しかも、Bさんの会社の商品より安い価格で販売されているものが多いのです。
こんなに売れるとわかっていたら、特許を申請していたよ。
私が一番に思いついたアイデアなんだ。なんとかして物まねをやめさせることはできないだろうか・・・?
Bさんは、以前に電話をした特許事務所に一度相談に行こうかと、考え始めました・・・
果たしてBさんは、何らかの対策をとることができるでしょうか・・・?
特許を受けるには、発明を世に公開する前に出願の手続をすることが大原則です。特許を受ける発明に要求される新規性(発明の新しさ)は、発明をした当人が公開してしまうことによっても失われてしまうからです。
Bさんの発明がこれまで誰も思いついていないものであったとしても、その発明の新しさは、商品となって世に出されたことにより失われています。
販売が開始された時期によっては、「発明の新規性の喪失の例外」という規定の適用を申請して出願し、特許を受けることもできますが、この規定は、あくまでも特許を受ける権利を持つ者自身が発明を公開したことを例外扱いにする規定です。商品についてたくさんの人が自主的に情報発信をし、真似という方法で他人が発明を実施している今となっては、もはや手遅れ・・と感じます。
不正競争防止法の適用を受けられる可能性なども考えられるので、全く無理とまで言いきることはできませんが、Bさんのケースで模倣行為を防ぐことは非常に難しいと思われます。
商品の販売より前に特許の申請がされていたならば、商品に「特許出願中」という表示を付けることで、物まね行為をしようという気持ちをそぐ牽制効果が得られたかもしれませんし、物まね品が出回るようになった場合でも、早期に特許権を取得し、その特許権をかざして物まねを止めることができたかもしれません。
そう思うと大変残念です。
Bさんの一番の失敗は、 費用のことを気にしすぎるあまり、具体的な相談をすることなく、申請をあきらめてしまったことであるように思われます。一連の手続にかかる全費用を尋ね、それをもって結論を出してしまったことも、大きな失敗です。
確かに、特許出願(申請)から審査を経て特許を受け、権利期間満了まで特許権を受けることを想定して費用の見積もりを出すと、100万円前後の金額になります。事案によってはもっとかかる場合もあることでしょう。
単価の低い日用品に関する発明に多額の費用を投じることはできないと、Bさんが感じたのも無理はありませんが、気にすべき費用は、当面は、最初の手続である特許出願の費用だけで良かったのです。
Bさんが確認したトータルの費用は手続が進むにつれて段階的に発生するもので、途中で手続を中止すれば、残りの費用が発生することはありません。
特許出願の次に必要になる手続は出願審査請求ですが、これは出願から3年が経過するまで保留することができます。
特許出願さえ済ませていれば、その後の事業の進捗状況をふまえて出願審査請求をするかどうかを決めることができます。審査に入った後の拒絶理由通知への応答手続や特許を受けた後の特許料の納付手続も、発明が関わる事業の状況や類似商品が出ていないかなどの実情をふまえて、先に進むべきかどうか検討し、対処すれば良いのです。
また、出願審査請求料や特許料といった特許庁に納付する費用については、Bさんの会社の名義で出願をすることにより、小規模企業であることを理由とする軽減措置を受けることができた可能性があったとも思われます。
審査で拒絶理由通知を受けたが応答をしなかった場合や、特許を受けた後に途中で納付手続を中止した場合でも、それまでは、「特許出願中」「特許取得」などという表記により消費者へのアピールをすることができます。特許を取得することができなかったとしても、出願の内容が公開されることによって、少なくとも同一の発明について他人に特許を取得されることを防ぐことができます。
特許を受けることが難しいと思われる場合でも、形状に特徴がある商品ならば意匠登録を受けられる可能性があり、商品名の商標登録を受けてブランド力を高める方法によって物まね品より優位な立場を確保することができる可能性があります。
ただし、何が何でも特許等の申請をすべきと言うわけでもありません。Bさん自身が考えたアイデアであっても、既に他の誰かが同じようなアイデアを考えついて、特許の申請をしているかもしれませんし、もしかしたら同様のアイデアについて既に特許を受けている人・法人があるかもしれません。
これらの点についてできる限りの検討をした上で特許申請や商品化の方針をたてないと、後で大きなトラブルが発生するおそれがあります。
Bさんが一番気にかけなければならなかったのは、費用のことではなく、上記に掲げたような諸問題を検討することであったと思われます。知的財産に関する情報を仕入れることができないまま、自己流の判断をしてしまったことが、失敗を招いてしまったという印象を受けます。
Bさんには弊社の知財よろず相談を利用していただきたかった・・・と、ほとほと残念に思います。
弁理士 小石川 由紀乃(知財アシスト代表)